この記事では、Yさんに連れていっていただいた場所、そして僕が個人的に足を運んだ場所を二回にわけて写真とともに紹介していこうと思う。

ただ一つ一つを細かく説明していくと膨大な分量になってしまうので、特に印象的だった場所に絞ることとするが、一泊二日という極めて限られた時間内(それでもYさんにはかなり色々なところへ連れていっていただいた)での紹介記事であることは改めて記しておく。

1.『ハマテラス』

海鮮や魚介類が大好物の僕からすれば、写真を見るだけで居ても立ってもいられなくなる…

この海鮮丼は、牡鹿郡女川町に位置するハマテラス内の『おかせい』というお店のもの。

ハマテラスは「海」をテーマとした商業複合施設で、飲食店や魚介・特産品の販売店などが入っている。

東京では倍の値段を払わなければ到底味わうことの出来ない質量と鮮度の魚介類が、これでもかと飯の上に敷き詰められていた。

僕は海鮮に目がないタチだが、それにしてもうまかった。

ネタの旨味、甘味、舌の上でとろけるor弾ける食感のどれをとっても抜群に美味かった。

海鮮丼を堪能した後、お店を出て先輩がたばこを吸っている間、ちょっと近くを歩いてみた。

各々の施設は直線的に並んでいて、道幅も広く見通しが良いが、その分、人通りの少なさが目についた。

また施設側からは海を望めるのだが、海沿いの土地一帯が堤防の工事をしていて、いまだ復興の途上にあるということが分かる(それでも女川町はかなりの速度で復興を遂げているそうだ)。

 

2.『加非館』

アイトピア通りという名前の通りに面した建物の2階に、この居心地の良い瀟洒な純喫茶はある。

扉を開けると、良く磨き上げられた木造のカウンターが目につく。

左右を見渡すと、どうやら地元のマダムやご老人方の憩いの場になっているらしく、一見して旅行者風の人は他にいなかった。

柔らかな照明、かすかに耳に届く談笑の声、豆を挽く音、コーヒーの香り。

ゆったりとした時間が流れていた。

僕はカウンター席の右端に座り、荷物を置いてほっと一息ついてから、コーヒーとホットケーキを注文した。

すると、

「少し時間がかかるけど…

お急ぎではありませんか?」

と、優しい声音で年配の女性の方が確かめてくださった。

あとで聞いたところ、ご夫婦で経営なさっているとのことだった。

ちなみにこの時、Yさんに別件の用事があったため、僕はそれまでの時間を一人で過ごすことになっていた。

最初は当てもなくぶらぶらと歩きまわっていたのだが、海が近いこともあって風が容赦なく吹き付けてくるため、段々と体が冷えてくる。

かといって気軽に入れそうなお店は目につかないし、シャッターが閉まっている店も多い。

ひと時のぬくもりを求めて速足で幾つかの通りを歩いていた時、偶然にもこのお店の看板が目に入ったのだ。

「はい、お待たせしました。

ホットケーキはもうちょっと待っててね」

コーヒーをすすりながら、何を考えるでもなくぼんやりとしていた。

穏やかなで、静かな時間。

それでいて、旅の最中という非日常的な感覚もある。

仕事に追われている毎日とは対極にある時間の流れのなかで、旅のこと、昔のこと、そして未来のことをぼんやりと考える。

すると、カウンターの向こうから良い香りが漂ってきた。

ホットケーキが焼きあがったのだ。

「はい、お待たせしました」

案外に厚みがあり、中々に食べ応えがありそうだ。

バターを熱で溶かしながらまんべんなく塗り込み、メープルシロップをかけまわしてから、フォークとナイフで切り分けていく。

そっと口に入れてかみしめると、柔らかくて、甘くて、香りも良く、それでいて「ふち」の部分がカリカリとしていてその食感も良い。

半分ほど食べ進めてから、一息ついてコーヒー(たしかグァテマラだったと思う)をいただく。

時計をみると、先輩との約束まではまだ小一時間ほどあるではないか。

もしあなたが加非館を訪れることがあったら、この場所で過ごす穏やかな時の流れもじっくり堪能してほしい。

コーヒーもホットケーキも、逃げたりはしないのだから。

 

3.『日和山』

馬っこ山からの夕陽を眺めた後、ほとんど日が落ちかけようとしていたタイミングで到着した。

この山には鹿嶋御児神社という神社があり、そのために大きな鳥居がある。

鳥居は「ここから先は神域ですよ」ということを示す門のようなものだが、この写真のアングルからだとまるで海の玄関口のように見えるのが面白い。

文人にゆかりのある場所らしく、石巻観光協会のホームページの紹介文を引用すると、

『元禄2年(1689)には松尾芭蕉と曽良が訪れ、石巻の繁栄ぶりに驚かされた様子が『奥の細道』からも読み取ることができます。
江戸時代から桜の名所として知られ、小野寺鳳谷(1810~1866)による『仙臺石巻湊眺望之全圖』にも石巻の繁栄ぶりが、パノラマ風に描かれています。大正初期に公園整備され、桜の他つつじで彩られる憩の場として今日に至っています。
吉田松陰・志賀直哉、井伏鱒二、廣津和郎、宇野浩二等も眺望を楽しみ、芭蕉、保原花好、石川啄木、宮澤賢治、斎藤茂吉、種田山頭火、釈迢空、新田次郎、山形敞一等、多数の文学碑や、川村孫兵衛、芭蕉曽良像等の像が建てられています。』

とあり、もうだいぶ闇に溶け込んではいたものの、いくつか文人にまつわる碑や像が建てられていた。

そうしてしばらく石碑等を見てまわったり写真を撮っているうちに、あたりはすっかり暗くなった。

実際には、この旅行記で記しているよりもはるかにあちこちへと連れていっていただいたから、この時点で流石にお互い疲れていた。

僕は前日夜の睡眠不足(最終の新幹線で到着した仙台でカプセルホテルに宿泊したのだが、やたらと漫画コーナーが充実していたせいで寝たのは三時近かった)と、それにも関わらず石巻の風景、音、色、匂い、味の全てをわずかでも残すまいと、全神経を集中させていたせいで完全に疲れ切っていた(自業自得)。

先輩も運転をしながら石巻について、仕事について、自分の活動についてあれこれと僕が質問をするのに全て応えてくださり、本当にたくさんの話を聞かせてくださっていたから、やはりかなり疲れていたと思う。

日和山を出発しようという時には、無言のうちに「そろそろ帰ろうか」という雰囲気が漂っていた気がする。

しかし車に乗り込んだ時、先輩はこんな提案をしてくれた。

「もしよかったら、最後に漁港の近くまで行ってみる?

ものすごく長い魚市場があるんだよ。

まあこの時間だと当然お店は閉まってるけどね」

石巻で過ごす一日目はもうほとんど終わったものと思っていたせいか、妙にこの提案が魅力的に感じられて、僕は自分でも驚くくらいエネルギッシュに「お願いします!!」と頼んでいた。

先輩も「ようし、それじゃあ行くか!」と快く返してくださり、車は僕の宿ではなく漁港へと向かった。

たしか、およそ十分程で目的地に到着したと思う。

先輩はすでに閑散としている漁港近くの駐車場に車を止めた。

ドアを開けて外に出ると、あたりは完全に闇に包まれていた。

「ここからちょっと土手をのぼろう。

真っ暗だから足元に気を付けて」

僕たちは携帯の画面の灯りを頼りに、土手を慎重にのぼっていった。

そしてようやく足元が平たんになったかと思うと…

強烈な潮風と轟くような波音が闇の向こうから押し寄せてきた。

もちろん距離は離れているのだが、土手の上にいる僕たちの正面には海が広がっていたのだ。

自分が目を閉じているのか、明けているのかすらも分からなくなる程の暗闇にいながら、あれだけの風と音に自分の声がかき消されるという体験は、かなり強烈だった。

ただ冷静になってあたりをぐるりと見まわしてみると、遠くの方(方向感覚も分からなくなっていた)に等間隔で並ぶ照明と、その光に照らされた漁港が見える。

たしかに長い、長い、長い。

風と闇と波音の中に、白く細長い長方形が夜闇の中でずっしりと横たわっている。

海面には照明の光が投げかけられてきらきらと輝き、港の岸辺に何艘もの漁船が浮かんでいるのがぼんやりと見える。

いまだに僕は、あの時に感じたことをうまく言語化出来ずにいる。

真っ暗闇の中で吹きつけてくる風と、全身を包み込むようなあの波音は、不気味で、恐ろしい。

けれども奇妙な高揚感…というのとは違うが、変に神経が昂っていたことを覚えている。

怖いもの見たさ、とでも言えば伝わるだろうか。

どういうわけかその場から動けず、また動こうとも思わず、僕はしばらくの間、土手の上に立ち尽くしていた。

先輩も同じように黙って海と向き合っていた。

ただしばらくすると、流石に寒くなってきた。

二月、それも東北の海風に吹かれ続けるのは、いくらコートを羽織っていたとはいえ厳しいものがある。

暗闇の中で、先輩が大声で何かを叫んで、車の方を指さした。

僕は大きく頷いて「分かりました!」と叫んだ。

それで、僕たちはまた転ばぬように慎重に土手をおりていった。

車中に戻ると指は冷え切っていて、途中で買ったホットの缶コーヒーも冷めていた。

先輩と僕はすっかり漁港のことなど忘れて、口々に夜の海の不気味さと凄まじさについて感想を言い合いながら、石巻の駅方面へと向かった。

時刻は夜の八時前だったと思う。

先輩の行きつけのお店(洒落たイタリアンだった)で少々遅い夕食を済まし、最後に宿(先輩が手配してくださった民泊。つまり一般の方の住居なのだが、非常に快適で丁寧な対応をしていただいた)まで送ってもらった。

それからお風呂をいただいてさっぱりし、旅の工程を振り返りながら写真を見返しているうちに、やがて強烈な眠気が襲ってきた。

時計を見るとまだ十時過ぎで、普段であれば「まだ夜は始まったばかり」とだらだら過ごしてしまうのだが、そんなことをしている体力はもうなかった。

電気を消して、今自分は石巻にいる、しかも初めてお会いした方の家で眠ろうとしているのだと考えたら、何だか面白くて笑ってしまった。

そうしてぼんやりと今日一日のことを思い返しているうちに、いつしか僕は眠っていた。

意識が途切れる直前に思い浮かべていたのは、馬っこ山から見た、あの美しい夕陽だった。