石巻旅行記4 ―ただ、風が吹いていた―
旅行記3に引き続いて、Yさんに案内していただいた場所の中で思い出深いところを紹介していく。
4.『荻浜』
Yさんに教えていただかなければ、僕一人では確実に訪れなかったであろう場所の筆頭ともいえるかもしれない。
牡鹿半島(石巻と女川町に属している)は海に面していることもあって、~浦や~浜といった小さな港が林立している。
そのうちの一つがこの荻浜であり、2017年に開催された“Reborn-Art Festival”(リボーンアート・フェスティバル)という芸術祭の象徴的な作品である《White Deer (Oshika)》が展示されている。
静かで心地良く、陽射しがいっぱいに降り注ぐ場所だった。
草木が風にそよぐ音、さざ波が寄せては返す音、小鳥のさえずり。
僕たちは砂利道を歩きながら、遠く空と海を見つめる《White Deer》のもとへと向かった。
他に人はおらず、鹿の住処に足を踏み入れてしまったような、そんな緊張感すら覚えるほどにこの牡鹿は荻浜の風景と一体化していた。
錆びに強い特殊な材質で作られており、なだらかな波紋のような凹凸で形作られている体は、太陽の角度と見方によって表面の陰影や色味が刻一刻と変化する。
それによって《White Deer》は荻浜の風景と一体化し、実に違和感なく馴染んでいるように見えるのだ。
奈良の春日大社において鹿は神の使いとされているが、《White Deer》がまとう静かな美しさは、どこか神性を感じさせるものがあった。
僕は魅せられたようにカメラのシャッターを何度も切り、風に吹かれながら石巻の空と海を見守る《White Deer》に、心の中で「また、必ず来ます」と伝えた。
5.『サン・ファン・バウティスタ号』
1613年、月浦(つきのうら)からヨーロッパへと出帆した船がある。
かの有名な伊達政宗が派遣した「慶長遣欧使節」の一団を乗せたサン・ファン・バウティスタ号である。
この使節団派遣の意図については様々な解釈があるようだが、一般的にはスペイン、ローマとの貿易を目的としたものだったとされている。
調べてみると、どうやらこの船の建造は主に仙台藩の尽力によりなされたものであるが、幕府の船奉行の協力もあったそうで、当時としてもかなり巨大なプロジェクトであったことが窺える。
そういった歴史的・文化的にも大きな偉業である慶長遣欧使節の派遣、ならびにそれを支えた船の建造を後世に伝えようと、サン・ファン・バウティスタ号の復元計画が立ち上がったのが1990年。
そして公式ホームページの紹介文によると、『慶長遣欧使節の月浦出帆380年にあたる1993年に、復元船サン・ファン・バウティスタは進水しました』とのことで、僕が訪れたのはそれから26年後。
ただ残念なことに、復元されたサン・ファン・バウティスタ号は2021年の3月末に展示公開を終了するとのこと。
復元船の近くには当時の歴史や展示品を紹介する「サン・ファン館」があり、この施設自体は今後も続くそうで、公式サイトには『新たな後継船とミュージアムのリニューアル』とあるから、別の形でこの船の歴史についても語り継がれていくのだろう。
しかし、僕は外からやって来てたった一度目にしただけだが、それでも一抹の寂しさを覚えてしまう。
冬の澄んだ空気の中、陽射しにきらきらと輝く青い水面に浮かぶサン・ファン・バウティスタ号。
乗組員は誰もいないが、船首ははるか太平洋へと向けられていた。
そしてこの船も《White Deer》のように、風に吹かれながら海を見つめていた。
1613年と現在、日本とヨーロッパを繋ぐ架け橋としての役目を静かに果たしながら。
6.『釣石神社』
「日本の音風景100選」というものをご存じだろうか。
僕はYさんに教えてもらった時、「“音”の風景とは言い得て妙だなあ」と感心した(何様だ)。
これは環境省が選定している「後世に伝えたい音の風景」で、以下のように定義されている。
『全国各地で人々が地域のシンボルとして大切にし、将来に残していきたいと願っている音の聞こえる環境(音風景)を広く公募し、音環境を保全する上で特に意義があると認められるもの』
つまり具体的な場所というよりも「環境」のことで、たとえばある土地の一角であったり、鳥や虫の鳴き声、波音や汽笛などなど、実に様々で面白いのでぜひ調べてみてください。
そして石巻にもこの「日本の音風景」に選定されている場所がある。
『北上川河口のヨシ原』
ヨシという背の高いイネ科の植物のことで、川の水際などに群生している。
震災によって津波が北上川を遡上したため、ヨシの生育や保全状況においてかなり深刻な被害が出たそうだが…
Yさんと僕は、旅行記の2で記した大川小学校を訪れたのち、釣石神社へと北上川沿いの道を車で進んでいた。
日が沈み始めていたこともあり、空は少しずつ蜜柑色に染まっていた。
車の窓からは、夕陽を浴びた金色のヨシが風にそよぐ姿が見える。
ひっきりなしにすれ違う対向車のほとんどが機材や資材の運搬用トラックで、釣石神社の周辺でも何か工事をしていたのだろうか、何台も止まっていた。
釣石神社といえば、数多くの震災や災害を乗り越えてきた「落ちそうで落ちない」巨岩で有名な神社である。
そのため受験シーズンが近づくと多くの学生が合格祈願の参拝に訪れる。
それとこの神社では先ほど紹介したヨシを用いた茅の輪があり、この輪をくぐることで「ヨシ合格」というわけだ。
そして巨岩の大きさと奇跡的なバランスに目を見張りながら(段々そんな余裕はなくなってくるが)174段もあるかなり急こう配の階段をのぼっていくと、雄大な北上川とヨシ原を見渡すことが出来る。
僕たちはふうふうひいひい言いながら階段を上り、しばらくその景色を堪能した。
昔の人も釣石の大きさに目を見張りながら、段々とその余裕をなくしつつ急な階段を上り、北上川とヨシ原をひとしきり眺めながら、全身で風を感じていたのだろう。
僕は階段を下りながら、将来自分が何をしたいのか、どの道に進みたいのかが定まらない不安定な自分も、この釣石神社のご加護にあやかって真っ直ぐに生きていけたらな…などと考えていたのだった。
それからまた車に乗り込み、北上川とヨシ原に沿って元来た道を戻ることにした。
僕は耳を澄まして、ヨシが風にそよぐ音を聞いていた。
空は橙色と朱色に染まり、北上川の水面はきらきらと輝いている…
美しい音の風景が広がっていた。